歴代運転手の思い出 -序章-
運転手がつく暮らし
私は現在、タイに駐在するサラリーマンである。
タイを楽しみまくっているのは間違いないが、
一応「会社の命令で赴任した」というのが名目。
駐在員の恩恵として、私は運転手付きの営業車が支給されている。
理由は、
- 交通マナーが悪いので危険。
- 事故が起こった時に言葉も話せず不利になる。
- 看板が読めないから困る、など
これだけ言うと、非常に恵まれた環境にあるように見えるのだが、いや、実際に恵まれてはいるのだが、最大の問題が運転手自体にあったのは赴任するまで想像すらしていなかった。
とにかく今まで私に就いてくれた歴代運転手は個性的なキャラが多く、粒ぞろいなのだ。
なぜかというと、(以下、お気を悪くされる方がいたら申し訳有りません)、運転手という職業は学歴がなくてもできる仕事らしく、あまり常識を知らない人が多い。
常識を逸したファンタスティックな行動が頻繁に見られるのである。
今でこそ抗体が付き、自分で伏線を張ったり何か起こった際も冷静に対処したりできるようになったが、タイに赴任した当時の一番の困り事とストレスの原因は、運転手だった。理由は大きく分けて2つ。
1. 言葉が通じない
あたりまえのことであるが、言葉が通じない。運転手は、カタコトの英語すら話せないひとが多い。
容赦無い流暢なタイ語で話しかけてくる。
タイ赴任して直後はタイ語など話せるわけもなく、運転手に何も伝える事ができない。 たとえば
- ◯◯に行って
- ここで待ってて
- ◯◯に来て
などなど、言葉がわからずそういう指示すら出来ない。
なので、買い物に行くときも当初は駐車場まで一緒に乗って行き、「ここで待っててね」とジェスチャーで伝えて離れる。
所要時間を英語で言っても伝わらず、お互いに伝わらないことを笑って済ましてしまう。今思えば、大方の所要時間も伝えずに出て行くご主人に運転手も不安不満があっただろう。
フラつく時間はあるのか?
メシを食う時間はあるのか?
昼寝をする時間があるのか?
目安を作ってあげる事すらできず不満を募らせてしまったのは、ご主人である私の責任である。
2.地図が読めない
そして、運転手なのに地図が読めない。
運転手の仕事は運転することであって、それに付随する付加価値(道を覚える、渋滞情報を見て予測する、など)をつけようとする意識は無い人が多い。
それは運転手に伝えても理解しないし、それ相当の給与しかもらってないのも事実。
タイに住んでわかった事は、日本人は地図がよく読める。
というよりは、読めるようにならざるを得なかったのだと思う。
それだけ日本の道は複雑で、目的地に着くためには地図を読まないといけなかったのだと思う。
タイに限ったことでは無いと思うけど、タイの道は大通りの名前と小道の番号構成されている。
たとえば、「バンコク通りの小道番号1番」といった感じ。
つまり、名前の付いた大通りを乗り継いで、最後は指定されたソイの番号に入れば大方の位置に到着できる。
簡単な解説 おわかりいただけるだろうか |
日本の住所は番地で決まっていて小道には名前がないのだが、タイの住所は大通りの名前と小道の番号が重要視される。
そのため、通りの名前だけで覚えていることが多い。
地図のように全体の位置関係を把握できておらず、地図を見せてもちんぷんかんぷんで「この大通りの名前は何?」という質問がよく寄せられる。
そんな感じなので、方向感覚もなく地図をクルクル回している風景がよく見られる。
ある日気づいた
当時は上記のような運転手の言動1つ1つがストレスでしかなかったが、よくよく考えれば、そもそも外国人は私。
日本の物差しを使っている方がおかしいのである。
そう考えられるようになってからは、できるだけ受け入れるようにし、自分が変わることに努力した。
まずはタイ語の勉強。
そして、タイ人のライフスタイルの勉強。
その国のメンタリティを学ぶことの重要性は、かの島耕作も頻繁に謳っている。
思い出は美化されるとはよく言ったもので、今となっては様々なトラブルも楽しい思い出となっている。
もはや、ネタにしないとやりきれないエピソードばかりです。
チマチマ更新する予定です。
是非お付き合い下さいませ。