ペルー・ボリビア旅行記 番外編 -空港で怪しまれた-
ウユニ塩湖の記録で終わらそうと思っていた旅行記。
だが、一つ、面白い体験を思い出したので記録しておこうと思う。
体調最悪状態から回復した、帰路の中継点、ヒューストンで起こった話。
事の経緯
リマの空港でチェックイン
リマに到着した時は、ウユニ・ラパスでの体調不良のヤマを超えていた。
リマからはヒューストン→成田→バンコクという乗り継ぎがあるものの、United Airで航空券を一括手配しているため、リマでチェックインを終わらせてしまえばスーツケースをピックアップすることもなくバンコクまで到着することができる。
張っていた気も緩み、健康状態も回復して無事にチェックインを完了。
発券された航空券に少し見慣れない文字が書かれていたが、あまり気にせずに最後の南米空港を満喫した。
もう、バンコク到着までのネガ項目はすべてクリアーしたと確信し、次なる中継地点のヒューストンに向かった。
ヒューストンで乗り換え
ヒューストンの空港で入国手続きを済ませ、乗り継ぎのためそのまま保安所に向かう。
すると…
なんか、デカイアメリカ人が「あなた達はコッチ来て」と。
夫婦ともども、保安所に並ぶ搭乗客とは違うルートで検査機に向かう。
英語が達者ではないので、色々言われていたが完全には理解できず、かと言って「Yes」と言ってしまうとなんだかヤバイ気がして曖昧な返事をしていた。
乗客員に横入りするような感じで検査機に到着。
「じゃ、検査機を通ってみて」
とデカイアメリカ人に促される。
他の人は普通に検査機に入るだけで流れ作業なのに、何故か我々は検査員にガン見されている。
ここまでの奇妙な行動でうすうす感じていたが、
「よくわからないけど、俺たち怪しまれてるんじゃね?」
という疑問が確信に変わっていった。
しかし、我々は何も悪いことをしていない。
アメリカの検査はうるさい厳しいことも前情報で掴んでおり、怪しいと思われるものはお土産としても買っていないし持ち帰っていない。
「これは大丈夫よ」と言われていたコカ茶のティーパックですらここまでの道程で捨ててきた。
これ以上変に怪しまれないためにも、この状況に萎縮せずにできるだけ堂々としていることが一番だと思い、堂々と検査機に入る。
往路と同じ、普通のゲートではないCTスキャンの筒が縦になったような検査機である。
バンザイをした状態で検査機に入り、グルッ!とセンサーが回る。
ここで予想外の出来事。
検査機のセンサーに引っかかってしまった。
検査機が鳴ることなんて、普通でもあまりあることではない。
なんでこんな変に怪しまれている状況で鳴ってしまったのか…
自分でも、何が原因で鳴ったのかわからないまま、探知機でのボディチェックが始まった。
ベルトもしていない、時計も外した。ケータイもカゴの中である。
「なんだろう…」と思っていると、お腹をさした時点で探知機が「ピュイーーーン」と反応した。
お腹?
パっとシャツの裾を上げ、ヒートテックに覆われたお腹を見てハッとした。
そう、私は数時間前まで、極度の体調不良で下痢に襲われていた。
下痢緩和を図り、私のお腹には、剥がし忘れたはるオンパックスが貼られていた。
既に冷えきってしまい機能を果たしていないが、
黒い粉末を白い袋に包み、
お腹に貼って、
シャツで隠して、
検査機を通った
という客観的な事実が発生した。
当方が隠し持っていた黒い粉 |
「なんだこれは…?」的なアメリカ人の反応。
お腹からはるオンパックスを剥がすよう促され、手渡した。
それはそれは、使命を全うし終えたはるオンパックスを慎重にチェックしている。
アメリカではホッカイロの存在がメジャーではないのかもしれない。
その手つきは、警察密着24時で袋に小分けにされた白い粉末を扱うソレ、もしくは爆発物等の危険物を扱うアレと完全に一致していた。
凄い体格のアメリカ人がホッカイロを怪しんで、そーーーっと触っているという光景のあまりのシュールさと、「これをどうやって説明すれば穏便に済むんだ」という頭のフル回転により、私の顔は自然と笑顔になっていた。
一応、つたない英語で
「これは暖かくなるためのツールで、もう使い終わっているから冷たい」
的な表現をしてみるが、「は?」みたいなリアクションを見せ話を聞いてくれない(たぶん私の英語の意味がわかっていないのが9割)。
こんな時の頼りのチート「Google画像検索」も、スマホが検査対象になっているため手元に無く、発動できない。
その後、はるオンパックスは検査紙のような何かで入念に拭かれ、紫外線があたっているようなセンサーに当てられたり、他の人にみせられたりされて、保安所のアチコチを暫く彷徨った。
この時には既に開き直って「まぁ変に怪しまれていきなり取調室に連れて行かれるよりは、この場でアレが入念にチェックされて問題ないって分かられたほうがいいや」と思い、その光景を楽しんでいた。
はるオンパックスが色々なアメリカ人に触られている間、私のカラダもリュックの中身も入念にチェックされた。ビデオカメラや常備薬入れなども全部紙で拭かれて何かをチェックしている模様だった。
はるオンパックスを差し出された空港のスタッフの方達は決まってこちらをチラチラ見てくるし、面白いを通り越して「なんかホッカイロで騒がせちゃってスミマセン」的な感情すら湧いてきた。
それからほどなくして、検査も終了。
どうやら無罪放免となったらしく開放された。
その時間、30分位はあっただろうか。
保安所でこんなに時間を使ったのは初めてだ。
もちろん、さんざんお騒がせした冷えきったはるオンパックスは、その場で廃棄された。
アディオス、トラブルの原因。
その後奥さんと合流し、聞いてみたところ、同じように手荷物を根掘り葉掘りチェックされ、同じように楽しんでいたようだ。
奥さんの場合、おみやげに買ったアルパカの人形も入念に拭かれていたことが面白かったと言っていた。
原因を調べてみた
感じていた違和感
そもそも、なんでこんな目にあったのか。
いきなりチェックイン時に「はいこちら~」と案内された段取りの良さから、その場で怪しまれたというよりは何かしら決まっていた行動のように思えた。
気になったのは、航空券に感じた違和感。
ふとチケットを見返してみたところ、見慣れない "SSSS" という文字が印刷されていた。
外部サイトより転載。光り輝くSSSSの文字 |
帰国後にネットで調べてみたところ、
Secondary Security Screening Selection
と呼ばれるシステムらしい。
これに選ばれた人は、特別に厳しい検査を受ける対象となるとのこと。
色々調べていると、このシステムに選ばれる条件として
- 片道の航空券しか持ってない人
- 監視リスト(watch list)に載られた人
- 航空券を購入する時、身分証明(IDやパスポート)を提出してない人
- 無作為(ランダム)選択
とのこと。3と4が当てはまる。
面白おかしくSSSSを説明しているこの記事が一番わかり易い。
他の記事では、目的が爆発物の検査的な事も書かれており、
- はるオンパックスの砂鉄=火薬
- 腹に巻く=自爆テロ
そんな可能性を持たれていたのかもしれない(厨二病の憶測ですが)。
そりゃ、爆発物の検査となれば、どんな物も慎重に扱うのは当然である。
リマからバンコクに戻る日本人、っていうのが珍しくて引っかかったんだろうか。
それとも単なるランダムで選ばれし者になったのか。
SSSS対象になった根拠はわからないが、色々検査をされた理由が"SSSSとチケットに書かれていたから"、ということは明確になりスッキリした。
ただ、1回SSSSに選ばれると次回も選ばれる確率が高いとのことで、なんだか面倒だ…
常に選ばれし者で居続けなくてはいけないと思うと、マジめんどくさい。
唯一のメリットは、チェックインから保安所までエスコートして頂けるということだろう。
まぁ、アメリカ大陸に降り立つことなんてこれから先何度あるかわからないが。
皆様もSSSSと記載されたチケットが発券されたら、どうぞアメリカの最上級の検査を楽しんで下さい。
ちょっと違う体験をしたければ、
はるオンパックス、お勧めです。
(まだあったかいやつだと、もっと騒いじゃうかな…)
ペルー・ボリビア旅行記 -ウユニ塩湖-
ウユニ塩湖に行ってきた
新婚旅行の最終目的地、ウユニ塩湖。
当新婚旅行はマチュピチュ・ナスカ地上絵を大きな目的としていて、ウユニ塩湖は「意外に休み取れたから行っちゃおうよ」的なノリで行った。
結果、一番思い出に残る場所となった。
「奇跡だ!」と思える風景って、滅多にないと思う。
この素晴らしさは、言葉でも写真でも表せない。
過酷だったけど、本当に行ってよかった。
過酷な環境であるが故、あの奇跡の景色があるのだと思う。
ウユニ塩湖でやったこと
- 塩の目を見る
- 塩原でピクニック
- トリック撮影
- 塩のホテル(ルナサラダ)に泊まる
- ウェディング撮影
- 水面に移った姿で遊ぶ
- サンセットを見ながらホットワインを飲む
塩の目
ウユニ塩湖に入る車はランドクルーザーが主流。
一番タフなのだという。さすがだぜ、Made in Japan!!
荒野から塩湖に入り始めてまだ白い景色が始まらない段階で、塩の目を見ることができる。塩原が割れていて、塩分濃度の高い塩水が湧き出ている。
リウマチに効くらしく、現地の老夫婦が塩の目に入りに来ていた。
湧き出ている部分。ポコポコ言っている |
リウマチを緩和しに来ていた老夫婦 |
すげー仲良さそうでホッコリ |
塩原でピクニック
塩の目から暫く車を走らせると、辺り一面が真っ白の世界になる。
塩の白と、空の青のみ。
これだけでこんなに素晴らしい風景になるとは。
白と青と我々のみ |
そこにテーブルを置いてピクニック |
持参した三脚 |
昼食の準備 |
最高か! |
体力補給に最適な、糖分たっぷりコーラで乾杯 |
ピクニックで食べたもの
- ボリビアでよく食べられるというカツレツ的なもの
- キヌア(最近世界で注目されている穀物。ボリビアの主食)
- サラダ
- コーラ(酸素が薄いため糖度の高い飲み物が良い)
何を食べたって、この環境ではうまく感じる。
その他、塩湖を移動している時に、初代塩のホテルやダカールモニュメントにも立ち寄った。
初代塩のホテルはいま休憩所と土産物屋になっている 様々な国旗が自由に立てられている |
ダカール・ボリビアのモニュメントを発見 |
トリック撮影
塩原に来たら、やっとかなくてはいけないのがトリック撮影。
遠近感を狂わせるこの場ならではの楽しみ方。
限られた時間で、色々試してみたが、なかなか難しかった。
距離感を混乱させるのがトリックのタネであるため、背景が綺麗にボケてしまうような良いカメラは撮影に向かない。どれだけ絞っても、ボケてしまう。
安いコンデジやスマホくらいのスペックのほうが、綺麗に取れると思う。
指人形と戦ってみる |
エッフェル塔を倒してみる |
巨人になって踏んでみる |
ガイドさんに言われるままにジャンプ (トリック写真ではないです) |
意外に難しいし、そこまで拘らなくてもいいのだと思う。
こういう遊びはほどほどにして、限られた時間の中でもっと塩湖自体の素晴らしさを肉眼に焼き付けたほうが良い。
塩のホテルに泊まる
塩原で遊んだ後は、一旦休憩。
ウユニ塩湖に2泊3日いるため、塩湖内のホテルに泊まることにした。
午後にまた再出発するまでの間、ホテルでゆっくり休憩をとる。
ガイドさんは3~4時間ほど休憩時間を設けている。
「いやー時間が勿体無いな…」と思ってしまうが、ガイドから昼寝を勧められたため、とりあえず興奮を抑えてベッドに横になったら即爆睡。
アドレナリンに隠れて肉体は既に疲弊しきっていた。酸素の薄いこの環境であることを忘れてはいけない。
存分に遊ぶためには、休憩こそしっかりと取らなければならない。
塩のホテルは3〜4箇所あるらしいのだが、我々はルナサラダというホテルに宿泊した。
壁や床はすべて塩で出来ている。
入り口 |
入り口から想像できない素敵なロビー |
廊下 |
部屋のベッド |
部屋の一部。すべて塩 |
入り口からの景観。絶景 |
入り口から外を見渡すと、朝はビクーニャが走り回っている風景も見れた。
ビバ自然。素晴らしすぎる。
いざ、天空の鏡の世界へ
昼寝をしっかり取ったら完全にダルくなってしまい、今日はもういいよ、とか思ってしまう始末。
しかし、人間が脳に分泌するアドレナリンとは凄いもので、塩湖に入った瞬間にそんなダルさも吹き飛んでしまう。
それほど大きな衝撃の景色を見ることができる。
衛星写真でもハッキリとわかるとんでもない広さで、高低差が50cmしかない。
ただただ広がる平らな地平線で、精神と時の部屋にでもいるんじゃないかという錯覚。
我々が訪れたのは4月中旬であったが、とてもラッキーな事に、乾季に入っていたが数日前に雨が降ったらしく、水が薄く張っている箇所を容易に探すことができた。
とりあえずジャンプ |
ヌルマユの旗を持ってパシャリ |
風が強く波紋が出てしまう。しかも寒い |
上の写真を見てもわかるように、初日の塩湖は風が強めで水面に綺麗に写らなかった
ウェディング撮影
「せっかく行くんだから、バカみたいなことしようや」
ということで、タイから安いウェディングドレスを持ち込んだ。
ここでウェディング的な撮影をしてしまおうという魂胆。
ランクルの上で |
トリックアートと合わせて |
塩原に立って |
うちらぐらいだろ、こんなことしてるの!と思ったものの、結構同じことを思いついた方は多く、同じホテルに止まっていた日本人も全く同じ準備をしていた模様。
わざわざ30時間もかけて来るのだ、皆様気合が入っていて当然である。
ウユニ塩湖1日目、とてつもなく感動はしたものの、風が強くベストコンディションではなかった。
明日は風が消えることを願って、早めに就寝した。
塩湖 2日目 天空の鏡リベンジ
我々はつくづくラッキーだ。
2日目、風が一切なくなった。
本当に水面が鏡となっている。ここぞとばかりに遊んだ遊んだ。
綺麗に写っている |
太陽もバッチリ2つ |
まぁ、定番ですね |
頭に後光をと思ったら、 偶然にも水面の太陽がキンタマリオ |
日が落ちてきても無風 |
テーブル |
当たり前のことだけど、水面で遊ぶと水が跳ねるので下半身は完全防水仕様。
当方は、ゴアパンツ+ゴアトレッキングシューズ。
ツアー会社が長靴を用意してくれていたが、バカの大足のため入らず。
サンセットを見ながらホットワインを飲む
夕日になってきたところで、ガイドさんがホットワインを準備してくれた。最高である
夕日 |
ベストショットの1つ フラミンゴの群れを撮りに行った別の団体さん と私の三脚 |
もう最高 |
ホットワイン会場 思い出すとグッと来る |
とにかく、360°すべてが夕日で、 アングル別に色が違う |
無風最高!! |
当旅のベストショットでしょうか |
嫁さんも大満足 |
日が落ちる瞬間が素晴らしすぎる |
これ以上に素晴らしい夕日を、これからの生涯で見る自信がないと思ってしまうほど感動した。
無風状態の塩湖で、ホットワインを飲みながら夕日が沈むまでボーっとしていた時がこの旅の一番のハイライトだと思う。
時間ごとに天候が変わってしまう標高の高いウユニにて、2日目で鏡面リベンジが出来たのは、本当にラッキーだった。
番外編:夜空撮影
わざわざ持ってきた三脚もあることだし、夜空を撮影してみた。
遮るものは何もないし、水面の下は白い塩原のため、月の光が反射してなかなか星が映らない。
テレビでよくやっている「新月の時がベスト」という意味がわかった。
15秒くらいシャッター開けてこれ本当は真っ暗です |
ここの素晴らしさは、写真でも言葉でも表せない。
とにかく、360°の地平線・水平線にひたすら酔いしれながらぼーっとするのが一番
「地球ってデケェな…」というアタリマエのことを真正面から改めて実感した。
そして
ウユニ塩湖で丸2日間遊び倒した翌日。
塩のホテルのベッドの上で私を襲ったのは、極度の体調不良。
頭痛・寒気・下痢・吐き気。一気に襲い掛かってきた。
温度差による風邪か、高山病か、食あたりか、はたまた全部か…
ウユニ塩湖初日、「もうこの後の目的地はないし」と思って、この旅で控えていたビールを飲んだ。
それが祟ったか、ピクニックで食べた生野菜があたったか、単なる体力切れか。
2日目からお腹の調子が悪かったものの、整腸剤と正露丸糖衣Aでなんとかなっていた
3日目、どうしようもならなくなった。
当時の私は、原因を考えられるほど余裕が無い。
これから36時間の大移動をするコンディションとしては最悪である。
室温の上がらないランクルに耐えつつ、空港の到着を待つ。
空港に着いても、空港が寒い。
なんとかカラダを温めようと、フライトの時間までホットココア等を飲んで暖を取る。
まぁ、効かないこと効かないこと。
飛行機に乗る前に出す物は全部出して、うずくまりながら出発。
お世話になったガイドさんに丁寧な挨拶もできず、最終目的地を発った。
1時間後、最初の中継地、ラパス(標高3,800m)に到着。
少し時間があったので、一旦街まで行ってスーパーなどで買い物をしたが、体調は一向に回復せず、楽しめなかった。
我々のために時間を割いてくれたラパス在住日本人の方には、本当に申し訳ないことをした。
ラパス発の飛行機内では、真冬の格好+蒸気でホットアイマスクのフル装備で就寝。
中継地点、サンタ・クルス(標高400m程度)で一旦着陸した時には、回復が始まっていた。
このことから、恐らく、酸素が足りていなかったのだと思う。
登山家 栗城氏の「酸素があればなんでもできる」という言葉を痛く痛感した。
その後の中継地、リマではマックを食べられるほどに回復。
トランジットの成田空港では、意地でもビールと最後の寿司を煽る。
タイ到着時には、元気な状態まで回復していた。
<中継地点ごとの回復具合>
- ウユニ = 死亡、ココア飲むのも辛い
- ラパス = 死亡、バナナジュースを飲んで少し落ち着く
- サンタクルス = 快復開始、ひたすら睡眠
- リマ = ほぼ快復、マックを食す
- ヒューストン = ほぼ快復
- 成田 = SAPPORO生と寿司でメンタル100%快復
- バンコク = 全快
まぁ、よくこんだけ乗継したもんだ。
回復して本当に良かった。
塩湖にいる時はアドレナリン全開のため、その時は気づかないが、体力が恐ろしく消耗している。
気を抜いた瞬間に自然の猛威が襲ってくる。
ウユニ塩湖は、そんな過酷な環境と奇跡の空間が隣り合わせである。
そのため、もう一度行きたい!とは気軽に言えないが、これだけは強く言える。
人生の中で一度は行っておくことをオススメしたい。
できれば、体力のあるうちに行った方が、心から楽しめると思う。
で、休み後の出勤
出勤してすぐ、ニット帽の境界線でオデコの日焼けがツートンカラーになっている顔をスタッフに笑われた。
紫外線マジで強い。顔パリパリ、境界線くっきり。
お陰様で、長期休暇を取った気まずさも緩和し、めでたく終了。
時間も金も相当使ったものの、何の後悔もないグレートジャーニーだった。
南米はとにかく自然のスケールがでかい。
ブラジル、チリ、ガラパゴス(エクアドル)辺りにも行ってみたい。
まとめ
- 塩湖には2泊以上泊まったほうが良い
- よく遊ぶためには、時間を惜しまずよく休む
- 着込んでも着込みすぎることはない
- 下半身は防水仕様で(遊ぶと塩湖の水が跳ねる)
- カメラ好きなら三脚は必須
- 紫外線半端なし。サングラス・日焼け止め必須
- ツアー会社が長靴を用意しているか確認
- トリック写真にムキにならず、自然を楽しむ
- 体力のあるうちに行くべし
ペルー・ボリビア旅行記 -列車の墓場・ウユニ市街・リャマの群れ・塩工場-
ウユニ空港到着
ラパスから1時間位でウユニ空港に到着。
ただひたすら寒い |
この旅の中でスーツケースのスペースの大半を占めている冬服は、このウユニのため。
標高の高いウユニでは、朝と夜の気温は氷点下近くまで下がる。
短パンで登った富士山を思い出す…
ヒートテックやフリースなどを着込んで到着するも、
常夏の国に住んでる我々にとってはいくらもがいても寒い…
凍えながらスーツケースの受け取り所を探すが、どこにもない。
あわわ…ってなっていたら、待合所に直接スーツケースを届けてくれた。
狭い空港のため、ベルトコンベアを設置できないしそもそもそこまで多くの人が来ない、ということなのだと思う。
ガイドさんと合流し、早速列車の墓場へ向かうことにした。
列車の墓場
もともとウユニはミネラルの産地であり、そのころは電車を使って運んでいた。
使わなくなった電車をそのままウユニに放置しているため、「列車の墓場」という名前になり一つの観光地になっている。
チリに続いているらしい |
ラクガキをされて遊具になっている |
長く続く |
ブランコもあります 鉄が冷え切っててマジ冷たい |
冷えきったところで朝食と食材を買いにウユニ市街へ
ウユニ市街
ウユニの街と言っても本当に狭い。
コンビニやスーパーなどの類はなく、商店とレストランと屋台がある感じ
当日はキリスト教の祭だったらしくこういったデコがいたるところにあった |
道 |
おばさん |
子供 |
親子 |
朝、おじさんが食ってたものが美味そうだった |
カラフルな商店 |
ここで売ってるカレーぽいのがうまそうだった この後「写真取るなら金よこせ」と言われた |
街人 |
犬 |
緑の店 |
道 |
犬 |
Wella |
リャマに会う
旅の目的でもあった大量のリャマに会うこと。
ウユニ塩湖に向かう途中でほぼ100%会えるとの前情報を頂いており、楽しみにしていた。
ウユニの街を出ると、すぐに何もない土の荒野が広がる。
リャマ注意!の看板にテンサョンアガる |
リャマ注意の看板を眼にして数分後、ついに…!!
おお… |
おおお…! |
カメラ目線!! |
はああああううううう |
そこらじゅうを歩いている |
前情報どおり、大量のリャマさんに会えた!!
でもアルパカ牧場の彼らとは違い、人には慣れていなくて、近づくと同スピード+1km/hくらいの速度で離れていくのが残念でもあり、可愛くもあった。
道中でビクーニャ(リャマの最高級種)にも出会ったが、相当なスピードで走っていて写真には収められず。
塩工場に訪問した
塩工場外観。味のあるラジオ、これ使えるのかしら… |
塩を作る(と思われる)機械 |
従業員はこのオジサン一人 |
右手にある塩をビニールに詰めて、火で袋を閉じる |
名前を残す手帳があったので、もちろん残してきた |
持参した鉛筆をあげて、写真を撮らせてもらった子供 |
まだまだ経済的には潤っていない国のため、そういうものも喜ばれる。
まとめ
- ウユニの空港はトランクのベルトコンベアがない
- 真冬の格好を持って行って挑む(朝と夜が冷え込む)
- 飴や鉛筆などの文房具をあげることでチップ代わりになる
ペルー・ボリビア旅行記 -ラパス散策-
ウユニに行くには、まずラパスを経由する必要がある。
ラパス
ロープウェイからの風景 空気が乾燥してると奥の山までクッキリ 写真:ガイドの落合さん |
ウユニへ移動
快諾してくれただけで嬉しかったよ、昨日の木の実オバチャン。
空港には普通にこういう民族衣装のオバちゃんがいる |
小型機で飛びます! |
機内の様子 寒い |
まとめ
- ひったくりには十分に気をつける
- 酸素が薄いため、ゆっくり歩いたほうが良い
- ウユニが目的地であればラパスでは無理をしない。しっかりと休憩をとる
- 安くパンツを買おうとするとなかなか売っていない
ペルー・ボリビア旅行記 -マチュピチュ・ワイナピチュ-
マチュピチュの観光までの工程
・リマ→クスコへ移動
・クスコ市街からオリャンタイタンボ駅まで車で移動
・オリャンタイタンボ駅からペルーレイルに乗りマチュピチュ村へ。ホテル前泊
・翌日マチュピチュ観光、ワイナピチュ登山
オリャンタイタンボ駅までの車移動
どローカルな村の風景やアンデス山脈を眺めながら駅に到着。
ペルーレイルに乗りマチュピチュ村へ
ペルーレイルには荷物制限があり、1人あたりリュックサック1つ分の荷物しか持ち込めない。
そのため、クスコの宿へスーツケースを預け、必要最低限の荷物を詰めてマチュピチュに向かう。
ペルーレイルに乗り込む。我々は夜の移動 |
道程は素晴らしい景色らしいのだが、夜のため何も見えず。
いざマチュピチュへ
入場券やバスチケットはすべてOOTさんに手配してもらっていたので詳しい手配方法はわからない。
おお…ガイドブックでよく見るポイントだ! |
暫く見とれた後、ガイドさんの説明を聞きつつマチュピチュを散策。
こんな標高にこんな文化が発達している村があったという事実。
本当に神秘的。
カンボジアのアンコールワットやタイのアユタヤ王朝遺跡なども見てきたが、
マチュピチュには発達していた文化があった、という点が他の遺跡と違っている。
他の遺跡と違い「人々が住んでいた」という生活感がなんとなく感じられるのが面白い。
綺麗に続く段々畑 |
クルッとなっている部分は太陽の神殿 日の出の太陽光が最初に差し込むように設計されている |
石切り場 |
石を切る方法 木を打ち込み、水を指して木を膨張させて石を割っていたという |
向こう側に見える山と同じ形をした石 |
コンドルが羽ばたいているように見える石 |
野生の親子リャマさん(カメラ目線)、失礼します! |
ワイナピチュ登山
はぁ〜と溜息をつきながらマチュピチュを散策した後は、ワイナピチュ登山。
ワイナピチュの山頂からは、もっと高い位置からマチュピチュを眺めることができ人気の観光ルート。
時間と人数制限があり早い時間に行かないと登れないとのこと。
「で、どこに登るんですか?」とガイドに聞くと、
「アレですよ、アレ」という。
えっ、絶壁じゃね!? |
この山だったのか…(調査しなさすぎだろ)
かなりの勾配が想像されるため少し怯んだが、シャーマンのコーラを流す作業も残っている。
もちろん快諾して、いざ登山へ。
登山口 行列ができる |
もはや登山道ではない場所もグングン登る |
こんな感じの勾配の階段を登山下山 |
登山の途中で山道を少し外れ、シャーマンの街のコーラを流す。
なんとなく邪気が流される気がする…
で、また登山に勤しむ。
ここで相当落ち込んだのが、自分以外の人間は息切れしながらも結構平気で登っているのに、自分だけは相当しんどかった事。
もう本当に登頂できるんだろうか…と挫けそうになっていた時に
「almost!! (そろそろだよ!)」
みたいな優しい言葉を色々な国籍の方々からかけられた。
相当しんどい顔をしていたんだろう…
タイに転勤してから本当に歩くこともなくなったことが影響してなのか、本当に体力の衰えを感じた。
それでもなんとか登頂。ハイパー汗だく
日本にいた時に所属していたヌルマユの横断幕と共にパシャッと |
山頂の岩の上から 高い! |
山頂の看板 |
ワイナピチュは時間があったら登ったほうが良い。
マチュピチュを見下ろす開放感がハンパない。
下山後、悔いの無いようマチュピチュをもう少し目に焼き付け、後にした。
インカマッサージを受けた
マチュピチュ入り口にある唯一のホテルでランチビュッフェを食べ、村までバスで下山。
クスコに戻る帰りの電車まで時間があったため、ガイドに時間の潰し方を聞いてみたら、マッサージ屋があるとのこと。
しかも「インカマッサージ」という未体験ニュータイプであり、しかもそのマッサージ屋にはシャワーがあると聞き、行くしかない!ということでマッサージ屋に直行。
シャワーで汗を流した後、インカマッサージでリラックス。
熱くなった石を乗せて筋肉をほぐしながら、揉むタイプのマッサージを受ける。
大体50ドル/1hr だったと思う
マッサージベッド |
熱い石で各部を温めてくれる |
店の看板犬も自由に移動 |
疲れていたことはわかっていたものの、マッサージを受けた後の回復具合が半端無かったことから、想像以上に体が疲れていたのだとそこで気づく。
旅の途中でのマッサージは時間がもったいないようにも感じられるが、むしろこういう歩くツアーが主体の旅行であれば、健全に旅をするためにはオススメしたい。
ペルーレイルとバスでクスコへ
HP・MP共に全回復したところでまたペルーレイルに乗ってクスコに戻る。
今回は昼の移動のため景色も見える。
線路沿いで遊ぶ子供 |
こういう道を線路で突き進む サボテンカワイイ |
こんな人も登場する |
一緒に踊ろうと巻き込まれ戸惑うオバちゃん このあと嫁さんも巻き込まれた |
オリャンタイタンボ駅 こんなカワイイ駅だったのね |
オリャンタイタンボ駅で下車し、バスでクスコに戻る。
荷物を預けていたホテルにチェックインし、泥のように眠る
泊まったホテルはMidoriという名前 日本人が経営しているらしい |
素敵な中庭 チェックイン待ちの際にコカ茶を頂く コカ茶は高山病の予防にもなるらしい |
インカ時代の神秘と、自分の体力の衰えに驚きっぱなしのマチュピチュであった。
まとめ
- マチュピチュはほぼ登山のため、登山の格好をオススメする
- ペルーレイルはリュック1個分の荷物制限
- ペルーレイル、バス、入場権の手配は事前にすまそう
- 時間とお金を惜しまず、マッサージは受けると良い
ペルー・ボリビア旅行記 - クスコが素晴らしい街だった-
クスコの街全体が世界遺産であることは、
期待をしていなかったというか、なんとなくノーマークだった。
だけど、やっぱ世界遺産と言われるだけあった。
旅の中でもかなりトップクラスの素敵さ。
アルマス広場 |
インカ時代のクスコはジャガーの形をしていた (と説明を受けた気がする) |
歩いているだけで気持ちいい街並み |
路地はどローカルな部分もあって余計にGood |
とにかく空が近くて青い |
おいしそうなスープ屋 |
警察署(だと思う)もシャレてる |
配達屋もファンキー |
ワーゲンバスも映える |
路上果物屋 |
アルマス広場がとにかく座ってるだけで気持ちいい |
犬 酸素足りてる? |
空がヤバイ |
歩いてるだけでワクワクする |
こういう民族衣装の方も普通に歩いてる |
鳥 |
…と思っていたのだが、日本人ナメられた。1人20ドルくらい払わされた。
タイで運転免許を紛失した→再発行した
前回、タイで運転免許を取得した事を下記記事にしたが、
早速紛失した。財布ごとスられた。
しかも、普段行くことなどありえないRCAのチャラ箱にて…
慣れないところは危険がいっぱい。
逆に、いつもお世話になっているパーティーピーポー達は本当に安全でフレンドリーで優しくて、ということを実感して、彼らの優しさと自分の情けなさに涙が出てくる。
落ち込んでいてもしょうがないので、まず紛失した際にどうすればいいのかGoogle先生に聞いてみた。
そしたら、意外に再発行は簡単そうだ、ということが発覚したので、ちょうど会社が休みの平日だった日に再発行へ行ってきた。
必要なもの
- 紛失届
警察署にて発行してもらう - パスポート原本
コピー箇所が分からなかったので、原本だけ持って行って現地でコピーした - 発行手数料
300バーツ以内
これだけ。
もしあれば、免許証のコピーや写真があると便利。
記載されている番号によって本人確認の照合ができるため、再発行までの流れがスムーズになるとのこと。
警察署に行く
まずは、警察署で紛失届を発行してもらう。
「免許証をなくした」といえば、作ってくれる。
タイの旅行者には同じような被害を受ける人も多いようで、(自分で酔っ払って無くしたと思われる人も含めてね)すぐに紛失届を作る手続きに着手してくれる。
無くした場所を聞かれるので、警察署の近くと言っておこう。
なぜなら、もし無くした場所が訪問した警察署の管轄外の場合、「発行できない。管轄の警察署に行け」と言われてしまう。
ここでの目的はあくまで紛失届の発行であって、落し物を見つけることではない。
落し物を見つけたいのであれば、その管轄の警察署に行くべきだが、まずタイで見つかることはない。
無くしてしまったものは、みんなのものである。ここは割りきって心で泣き、「この近くでなくしたんです」と打ち明けよう。
陸運局へ行く
前回と同じ陸運局に行った。
書類は、先述の通り紛失届とパスポートのみ。
で、同じように受付で「再発行」と伝えて書類を確認してもらって、パスポートのコピー箇所を指示してもらう。
その際、「ワークパーミットは?」と聞かれドキッとしたが、「今日は持ってきて無いです」というと、「あー。。。OK」との事。
そこらへんは、あると便利、的なことなのだと思う。
指示された窓口に持って行って、番号札を受け取り、待つ。
電光掲示板に自分の番号が表示されたら、写真を取って、発行手数料を払って(300バーツ以内)、発行されて終了。
メッチャ簡単。
書類関係に、大使館発行のものや病院発行のものがいらないので助かった。
まとめ
- 警察署発行の紛失届は必要
- パスポートと紛失届だけで再発行可能
- 免許証のコピーを持っていると便利らしい
簡単なのはとても嬉しいのだが、もう2度とこんな体験したくない。
財布の中身を思い出すだけでも大変だし、クレジットなどのカードを止めるのも簡単だけど面倒だし。
夜遊び外出時には、必要最低限のものだけ持ちだそう、と、決心した出来事であった。